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映画・本の感想や日常のことを書いていきたいです。

函館

はじめに

今呑気に旅行記なんか書いていると不謹慎!なんて怒られそうだが、3月の頭のことを今更書くので許してほしい。

 

北海道に行くならとりあえず札幌かなあと思っていたが、旅行直前になってコロナの状況が芳しくないということで急遽函館行きを決めた。もともと持っていた函館のイメージは五稜郭青函トンネル……みたいな小学校の社会科レベルのものだったが、実際に行ってみたらとても楽しいところだったので良かったところを紹介していく。

函館のいいところ

お土産の(ギャグ)センスが抜群にいい

経験則からすると、お土産の質を見ればその土地の面白さが分かるといっても過言ではない。勿論上高地のような自然を求めて訪れる場所であれば話は変わるが、都市であればこの傾向はよくあてはまると思う。

 

それで具体的にどんなのがあったかといえば、こんな感じ。

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いくらアイマスク HOT&ICE

いくらアイマスク HOT&ICE

  • メディア: おもちゃ&ホビー
 

 

載せているのはかな~り攻めている代物ばかりだが、誰にでも渡せる普通のお土産のラインナップもちゃんと充実している。

 

こういうのを見ていると自然と笑顔になるような気がしません?

遊び心に溢れている

お土産のギャグセンとも被る話だけれど、小粋な遊びを見つけると嬉しくなってしまう。

例えば、函館市電の一日乗車券。ごく普通の一日乗車券は発行日と有効期限が印字されているだけの味気ない代物だが、函館ではスクラッチで使いたい日付を選択し、自分の手でアクティベートする形式になっている。些細なことではあるが、この違いが記憶のフックとなって函館のことを思い出させてくれるのだ。

 

湯倉神社のおみくじも個性的だった。

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小さくて見づらいかもしれないが、右下の木の玉が「うさぎおみくじ」。玉には様々な姿のウサギ描かれており、別紙を参照しつつ自分の運勢を確かめるという寸法だ。ちなみにこの木の玉は楠で作られていて、一か月以上たった今でもいまだにサウナっぽい(?)芳香を漂わせている。

もう一つ楽しかったのは、函館朝市でのイカ釣り体験。いけすのイカを釣るという文字通りの体験をしたのだが、いろいろと発見があって面白かった。

まず、イカの釣り方。実際の漁業では網なんかを使っているのだろうが、一本釣りをする場合には先端に鉤の付いた釣り竿でイカのミミを引っ掛けて釣るらしいことが分かった。ちなみにお顔を狙うと怒って墨を吐くとのこと。

死後の動きも面白かった。釣り上げた後は漁師さんに捌いてもらうことになるが、包丁を入れるために漁師さんがイカを撲殺すると、たちまち色が失われて透明になっていくのが不思議に思えた。そしてお待ちかねの実食タイム。ぴくぴく動く足を頂くのは、オレサマオマエマルカジリ的な野生っぽさがあって気分が高揚した。

開拓の精神が感じられる

ミシュラン・グリーンガイドなるものがあるらしい。ご存知の通りミシュランガイドはレストラン・ホテルの格付けをしているが、グリーンガイドはその観光地版ということになる。

 

函館には、このグリーンガイドによって街や観光名所に何個の☆が与えられているかを示す看板がいくつも立っていた。☆の数は、通常版と同様に1個~3個まで。函館の地で☆3つの栄誉に預かっているのは、「函館山からの眺望」のみであった。函館の街そのものは☆1つに留まっていた。

 

星の数ごとのレベル感は以下の通り。それにしても「興味深い」なんて雑なフォローのような表現を使うのはちょっとどうなの?という気がする。

  • ☆☆☆... わざわざ旅行する価値がある
  • ☆☆……. 寄り道する価値がある
  • ☆............ 興味深い

残念ながらミシュラン的には函館はただの「興味深い」街に過ぎないようだが、一体何がお眼鏡に適わなかったのだろうか。ミシュラン・グリーンガイドには9つの評価基準が存在するが、その一つに「作り物ではない本物としての魅力と調和」というのがあって、恐らくこれにひっかかったんじゃないかと自分は考えている。

 

函館の街は、その西洋的な外観を大きな特徴としている。自分にとって函館の街並みは、西洋のエッセンスをふんだんに取り入れつつ自然と建造物が見事に調和した美しい景色に思えたし、きっと日本人やアジア圏の人々は函館を気に入れば似たような感想を抱くのだろうと信じている。しかしミシュランの欧米人の目には、もしかすると函館の街は西洋の街の劣化コピー、中途半端な作り物として映っているのかもしれない。

 

確かに西洋的な要素だけ取り上げるならば函館が本場の街に敵うはずもないし、首都圏に点在する作り物であることを意図された区画と函館を区別することは一見簡単ではないように思える。しかし、自分は滞在中に開拓の精神を感じ取ったからこそ、函館は作り物ではない、本物の市民の街であると確信をもって言える。

 

函館の街では、数多くの銅像を見かけた。そのうちの一つに「函館四天王像」というものがあった。これは、明治期の函館の発展に尽力した人々を称えるものだ。函館の街にはレトロな香りが漂うが、それは明治・大正期に西洋に負けず劣らぬ豊かな街を自らの手で築き上げようとした名残であるに違いない。函館は、函館の人々によって守り受け継がれ、そして何より愛されてきた街なのだ。

おわりに

書いていてまた函館に行きたくなってきた。そろそろ海の幸ロスになってくる頃合いでもあるし。

 

しかし、この状況下で次に旅行に行けるのはいつになるのやら。一刻も早く世の中が落ち着くといいですね。